先日カフェに行ってぼーっと本を読んでいたときの話。
突然隣から、テロテロテローン、と琴のサウンドエフェクトが聞こえてきた。琴の弦をを手前から奥にザーッと弾いた感じの、お正月よろしいサウンドだ。何の音やねんと思いつつ、ガン見するのも良くないので、背もたれに体を預けて軽くのけ反り視線をギリギリまで横にやる感じで隣を見たところ、おばちゃんがガラケーをいじっていた。多分、ガラケーから鳴ったのだろう。確かにガラケーからは、ああいった琴サウンドが鳴ったりしがちだ。
またしばらくして、再び琴サウンドが聞こえてきた。たまたまその様子が視界に入っていたので、琴サウンドがどのようにして発せられているかが分かった。
琴サウンドは、折り畳み式のガラケーを開くときに鳴っていた。
そうそう、折り畳み式のガラケーって、何故か開閉時にサウンドエフェクトを鳴らす機能あったよね。ものすごく懐かしいよね。ボタンを押すときにピッピッと音がなるのも懐かしいけど、折り畳み式ガラケーが開くときに音が鳴るというのは、なんかこう懐かしさのランクが違う。あーそういえばそんなんあったなー、と、懐かしくてエモい。
でも、あれって何なのだろうか。なぜ、パカっとすることに音を付けるのか。意味不明だ。
ボタンの操作音に音がつくのは100歩譲ってアリかなと思う。あなたはちゃんとボタンを押しましたよ、ということを知らせているのだ。ガラケー時代においても、たいていの人は操作音などオフにしていたと思うし、必要性は無いと思えるのだが、ボタンを押したことを知らせることで安心感を与えている、と言われればそうかもしれない。あらゆる電化製品で、ボタンを押したときにピッという音が鳴るじゃないか。あれが鳴らなかったら、今の、ちゃんと押せてるの?と思ってしまいそうだ。
でも、ガラケー開くときサウンド要らないでしょ。見たらわかるし。あ、開いたなって。音が鳴るということが目の不自由な人のために必要だ、という説を考えてみたが、ガラケー開ける動作には必要なさそうに思える。
あるとすれば、「ようこそ、ケータイの世界へ!」という、サウンド。これから触るケータイの世界へのワクワク感を煽るサウンド。やあ!こんにちは!どんなことをするのかな?電話、メール、インターネットもできるよ!さあ、操作しよう!ということを表現する、サウンド。
あのおばちゃんは、好きで琴サウンドを鳴らしているのか。それとも、オフにする方法が分からないからそのままなのか。
一応書いておくと、別に不愉快に思ったから書いているわけではないし、むしろ面白かったので、おばちゃんにはこれからも、あのひとガラケー開くとき琴サウンド鳴らしてはるわあ、と思われてほしいし、これこそガラパゴス、といった雰囲気を周囲に撒いてほしい。
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