2017年6月27日火曜日

2年半以上続ける

ほぼ毎日ある活動に打ち込んで過ごす、という場合、僕は2年半くらいでやめてしまうことが多いようだ。

中学の部活(ソフトテニス)も高校の部活(弓道)も大学のサークル(鳥人間)も、2年から2年半くらいやって引退した。

嫌になったから辞めたわけではなく、慣例として引退の時期が決まっていたのでそれに従ったのだが、高校でも中学と同じソフトテニスを続けるとか、大学でも高校と同じ弓道を続けるとか、そういうことはしなかった。つまり、さらにもっと続けたいという欲求は無かったわけだ。

振り返ると、新しいことを始めてだいたい半年くらいでそれをやることに抵抗がなくなってきて、1年くらい経つといろいろと知識が増えて手に馴染んできて、丸2年くらい経つと何となく「この分野の入り口に立てている」という気がしてくる。そして、2年半くらい経って一回手を引いて(引退して)、その後、自分がこれを続けることができるかどうか、みたいなのを、判断したようだ。やっていることはバラバラで恥ずかしい限りだが、おおよそどれもこのような印象で過ごしてきた。

このステップを経て、結局上記の部活やサークルなどはどうも続けられないと思った。さっきも書いたが、嫌になったから積極的に辞めたというわけではなく、一回手を引いた後に「もう一度」ということにはならなかったのだ。


さて、今の研究室に入って3年と3か月くらいになる。これは他とは違って長く続いているな。さらに、修士という「引退時期」を過ぎても引退せず続けているではないか。これは、もう少し続けようと思っているということだろうか。


ただしもう少し細かく分析してみると、M1の後期から本格化したテーマについて最近論文を書いて、最近は別のことに取り組んだりしているわけで、1つのテーマに対してはやっぱり2年半くらいしか時間を費やしていないようである。

例によってそのテーマ(開放量子系)については「この分野の入り口に立てている」という感があり、そしてこれまでとは違うことに、まだこのテーマについては気になることがある。どこかで機会を見つけてもう一度開放量子系について取り組むか、今は最低限アンテナを張っておくことにする。

なんかどこにも着地しない話になってしまった。もう少し考えよう。

これを書きながら、似たような話を聞いたことがあると思っていたらこれだった。

imaroの「ロー」って何:2年周期説



「なぜD進したのか?」という質問をちょくちょくされるのだが、これについてもおいおい書こうかな。このブログではテーマを絞らず(本当か?)とにかく思いつくことを色々書いているつもりだが(本当か?)、結局よく読まれているのはアカデミックなことを書いたものばかりなので。

あと、書こう書こうと言いつつ、書いていないということがほとんどなので当てにしないように。

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