2016年8月14日日曜日

「ダリ展」で感じるダリの絵のうまさ


7月1日から、京都市美術館で「ダリ展」が開催されている。
ダリと言えば、シュルレアリスムを代表する画家である。
(画家と書いたが、絵だけではなく、彫刻作品も作っている。)
もしそんな人を知らなくても、時計がぐにょーんと柔らかくなって木の枝にぶら下がっていたりする絵を見たことがあるかもしれない。
あれを描いた人がダリだ。

そんなダリの展覧会に、僕は開催翌日の7月2日に行った(やる気に満ち溢れている)。
既に1か月以上経つが、忘れないうちに簡単に感想を書いておくことにしよう。


ダリ展に行って感じたことをまとめると、「ダリ、絵がうまいよね~」である。
雑な感想だなあ、と思われるかもしれないが、いろいろ考えた結果の感想である。


ダリの絵を見たことがある方は知っているだろうが、彼の絵には異様で夢幻的な独特の世界が描かれている。
と同時に、個々のオブジェクト、パーツに着目すれば、非常に緻密で写実的な絵を描くこともまた特徴でもある。
実際生で見ると、小さい絵であろうと線や陰影がきっちり細かく描かれていてその精緻さに圧倒させられる。
この、個々のパーツがえらく写実的でリアルなことによって、描かれた全体としての景色の異常性が引き立ってくるのだ。

例えば、夢の中では、バイト先の先輩と小学校時代の友達など、全然関係ない組み合わせの人が同時に存在したり、いつもの風景を歩いていて角を曲がった先に、思っていたのと違う場所が現れたり、複数のものの遠近感がまるで違ったりしていることが珍しくない。
ただ、登場人物それ自体や、個々の建物など、要素に還元してみると、現実世界とは何ら違わない。
○○くんと○○くんが出てきて・・・、と後になって思い出すことができるし、あの駅のホームの階段の感じは間違いなく○○駅だったな、と確信を持てる。
個々のパーツはまるで現実と違わないのに、全体の風景としては、体験したことのない様相を呈している、そのせいで、結果として(その場か、目覚めた後に)「あれ、おかしいな?気持ち悪いな?」と感じてしまう(少なくとも僕は)。
変な夢を見たな・・・、と感じている理由の一部に、「個々のパーツはしっかりとしたリアリティを持っていたのになあ」という感覚があるのだ。
つまり、個々のパーツのリアリティこそが、全体の異常性を引き立てる役割を果たしている、と言える。
個々のリアリティこそが、それらの組み合わせ、置かれた状況が異常であることをより鮮明にさせるのだ。

この夢の話と同じように、ダリの絵の持つ異様な世界には、個々のパーツが写実的に描かれていることが欠かせない。
たぶん時計がぐにゃーと柔らかくなって木にぶら下がっている絵にしても、もしその時計が、利き手と逆の手で5秒で描きましたみたいな時計だったら、個も全体もぐちゃぐちゃで、ただのポンコツな絵になって、ぞっとする魅力は感じないのではないだろうか。

ダリの絵が、夢の世界を描いたものかというと必ずしもそうでない。
ただ、絵が緻密で繊細であることが印象に残ったこと、なぜそこに目が行ったのかを、夢を手がかりにして少し掘り下げて感想を書くとこんな感じ、といったところ。

以上のことを踏まえての「ダリ、絵がうまいよね~」でした。
9/4までやってるよ~

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