2015年9月25日金曜日

スナック菓子についてのエッセイ


深夜に麻婆豆腐の特集のテレビが放送されていて見事に空腹を誘発されてしまったので、コンビニに行ってスナック菓子を買ってきてしまった。
カラムーチョだ。
麻婆豆腐を見ておなかがすいたのだからうす塩では許されまい。

うまいな。うまい。


ふと、思考が進む。


スナック菓子は、空腹を満たすとともに、破壊による快感も与えてくれるのだ、と思う。


聞こえは恐ろしいが、破壊することによる快感というのは規模を問わなければ日常のあらゆるところに存在している。
日常生活を思い出してみる。
たとえば、栄養ドリンクなどのビン飲料の金属ふたを開けるとき、ペットボトルでもいいしカンのプルタブもそうだ。
カレンダーをめくりちぎったり、トイレットペーパー、メモパッドの一枚をめくりちぎる。
黒板に向かい、チョークで字を書く。チョークは粉になって、見る見るうちに長さが短くなる。
サロンパスのバリピタシート。
穴あけパンチ。
サイリウム。
あらゆる梱包の開封。

些細な出来事過ぎて、快/不快などという感情は意識に上ってこないけれど、この不可逆の一歩は確実に快だと思う。
(誰かに言わせれば、「脳にいい」んだと思う。)

逆に、考えてみてほしい。
カレンダーをめくろうとして、無音。手への抵抗もない。
考えただけでぞっとする。
ファイナルアンサーだからと小切手をちぎるみのもんたも真っ青だ。

もちろん、パリパリとした食感の食べ物を食べるのだってそういう理由で快感を与えている。
スナック菓子も例に漏れない。
ポテトチップスも、バリバリと噛んでいる間に驚くほどの破壊音が聞こえる。
ひと噛みの間に何分割されるだろうか。
この、顎に伝わるバリバリの一つ一つが1000ポイントだとしたら、あっという間に500000ポイントくらいゲットできるだろう。
この食感による快感を追及して、お菓子メーカーは日々苦心しているのだろう。


そうやって、カレンダーとスナック菓子に「破壊」という共通のタグをつけて、カラムーチョを食べ終わった。

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