科学の基礎研究が何の役に立つか?という問いに対する回答として自分の言葉で書けることをここにまとめておこう。
(ノーベル賞関係の報道のある前から)ある程度多くの方が発言していて個人的にも賛同できるもっともな意見と、やや内容がぼやっとしているしかなり個人的ではあるが、より強く基礎研究を支持する動機となっているものの2つ。
実際に文字に起こしておくと整理ができてよい。
1.何かの役に立つ研究をするのに役に立つから、役に立つ
世の中には「何かの役に立つという具体的な対象を挙げることのできる研究」が存在する。
その研究の発展により、人間の生活が豊かになるというビジョンを明確に描くことのできるものだ。
そのような研究をするためには、その研究を支える、もしくは必要となる理論や道具が存在していなければならないだろう。
従って、研究に必要な理論的枠組みや、実験や、装置の開発をすることは、1ステップ手前になり直接的ではないが、役に立つ。
簡潔に言うと、研究の役に立つ研究が結果として社会の役に立つ。
同じようにして、研究の役に立つ研究、を支える研究、もまた存在するだろう。
そしてそれは2ステップ手前にはなるが、役に立つと考えることができる。
以下、順に遡って行けば、世の中の役に立つ研究の背景には膨大な研究が存在することになる。
それは、その1ステップ次の研究に直結する研究かもしれないし、直結はしないが類似する構造を頼りにアイデアを与えてくれるものもあるだろう。
また、ある研究の背景には、師匠のように元となる研究が1つだけあるわけでもなく、複数存在していることがほとんどだと思う。
(さらにもっと言えば、ある研究を背景にして得られた知見があって、それがさらに背景となっている研究に刺激を与えることもある。このような双方向に影響を与える網目のような構造になっていると考える方が適切かもしれないが、ここではちょっと話がややこしくなるので詳細は書かない。)
現代の科学研究を社会へのつながりという観点で見たとき、科学は、いろんな上流からいろんな下流へと研究が流れていくデカい構造を持っている、ととらえることにしている。
では、この中で「基礎研究」と呼ばれる研究たちがどこに存在しているかというと、それらはもうまさに手前の手前の上流の上流にいて、水脈を見つけているようなところにある。
そして、この上流の研究が日々新しく発展し続けるからこそ、100年とか1000年のオーダーの未来により豊かな技術が生まれてくるのだと思う。
このような話題の時によく挙げられる「アインシュタインの一般相対論は今のGPSには欠かせない」という話は、彼の物理の基礎研究が、100年のオーダーの未来に、彼が(たぶん)考えてはいなかった技術の中に貢献している、という例として役に立っているんですよという説得力のある説明だと思う。
しかしこの例は(分かりやすい例を挙げているからそりゃそうなんだけど)、現代社会に貢献する技術と基礎研究がほぼ直結しているかなり極端な例だと個人的には思う。
実際には、「電気というものの基礎研究をしていた人がいる」、というレベルで、何世代も上の先祖の遺伝子が自分に含まれているかのように、世の中には科学の基礎研究が役に立っている、と認識している。
こんなかんじで考えてみたとき、基礎研究をやっている人たちにとって、今取り組んでいる研究が下流で(もしくは未来で)どのように「役に立つか」など知る由もないということもまあうなずけないだろうか。
そして、ある研究がこのデカい構造を描いたときにどの位置に存在するかを把握して伝えることで、基礎研究の立ち位置と意義をある程度納得してもらえないかなあ。
2.科学的基礎研究は人類のアイデンティティだ
「何の役に立つんですか?」
「それは人類のアイデンティティだ。」
は回答としてズレていて減点くらいそうだが、意義は何ですか?と問われたとして。
人類は、他の生物と比較して圧倒的に高い知能を持っていて、人類はその知性をもって道具を使い、道具を作り、また思考をめぐらせて繁栄して生きてきた。
人類がその高い知性を無くしたとして、それは人類なのだろうか、と考えてみた時に、どうも知性、つまり目の前の生活のことから宇宙のことまで、すごく具体的なことから抽象的なことまで、哲学とか芸術とか科学とかありとあらゆる学問とかを構築して考えまくるという活動が無い人類は人類ではないと思えてくる。
そしてそんな人類の「思考」という機能の対象として最も根源的で究極的で難しい問いを選ぶということ、そしてその謎を解き明かそうとすることは、とてつもなく人類的な活動だと思うし、それこそが人類のアイデンティティを保っている行為だと思う。
この世界に「宇宙とは何か?」とか「生命とは何か?」とか「我々は何者なのか?」とかについて考えている人、解明しようとしている人がいません。
みんな難しいこと考えるのはやめちゃいました。
昔はそんな人たちがいたのになあ。
って世界、考えただけでぞっとします。あー人類終わった。って感じ。
もちろん全世界の中でそのような根源的な問いと向き合っている人は本当に極めて数少ない人たちだけれども、その人たちもいるそんな生き物であるということが人類だということなのではないか。
という気持ちを日々抱いている。
僕は事あるごとに「人類って~やん。」と人類に話を広げてしまう面倒な癖がありますが、上記のような気持ちで生活しているのだから仕方あるまい。
だから「それって何の役に立つんですか?」と聞かれたら、「人類のアイデンティティを保つのに役立っている」という回答をしたい気もするのだが、そんなことを言ってもよくわからないので、1.を使うことにしている。
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