2015年6月21日日曜日

夢の話(1) 前置き


夢の話。


例えば23年生きてきた僕の場合、だいたい23年×365日寝て、そのうちだいたい10日に1回夢を見た、という低めの見積もりを立てても、
700を超える夢を見てきたことになる。
実際にはもっと多くの夢を見ているかもしれない。
しかし、(僕の感覚が平均的な人間の感覚と大幅にずれていなければだが、)
”夢を見たはずなんだけど起きたら思い出せない”
ということが一般に経験としてあることだろう。
そう考えると、記憶に残る夢なんてかなり少ないような気もしてくる。

夢には、(僕の場合)その時々の悩みや不安から現れる夢や、願望が具体化されて現れる夢など、比較的「何故その夢を見たか推測がつく」夢が多くある。

また一方で、「何故その夢を見たか推測がつかない」夢が存在する。
もしかしたらこちらの方が多いかもしれない。
夢の中では当たり前のように行動しているが、思い起こすと全くもって当たり前でない。
シーンは飛ぶし、話の筋は通らない。
街は違うし、景色は変わる。
とんでもないし、恐ろしい。
場合によっては人が死ぬ。
ほとんどの場合が支離滅裂で、断片的だ。

だがその中に、いくつか面白い脚本のものがある。
こんな面白い夢を見た。
それだけでも面白いのに、それを考えたのは意識的ではないにせよ他でもない自分だというのだから驚きだ。
そういう気分になることがないだろうか。

面白い夢も結局いずれは忘れてしまう。ほとんど忘れてしまった。
しかし、23歳になる現在まで記憶に残っている夢もあって、それらもまたいつか忘れてしまうのだろうかと思うともったいないので、ここで文字として出力し、いくつかのお話として整理しようというのが、もともとこの企画の趣旨だった。


そうして実際に、5月から6月にかけて、記憶に残っているいくつかの印象的な夢を文字に起こす作業をした。
具体的には、6つの夢または寝付けない夜に思いだした記憶について文字に起こす作業をした。
・2階に行く手段のない2階建ての建物の話
・京都に飛行機が墜落する話
・「c9」という部屋番号についての話
・骨盤をガリっとする話
・奈良の高速道路で女子が40人から一気に2人になる話
・家の近所の大きな公園がどんな公園だったかを思い出そうとしたときに感じた感情
を思い出し、これらを文字に起こすことは面白いかもしれないと思った。


だが、結果的に、夢が如何に文字からかけ離れたコンテンツであるかを身をもって知ることとなった。
結局のところ、言語に落とし込むことにより、面白いと思っていたものがかなり面白くなくなってしまったのだ。
それは、夢が映像だからかもしれない。
映像を文字にするのは難しく、その面白い映像を言語に落とし込むだけの言語を持ち合わせていなかったのかもしれない。
また、自分が「面白い夢を見た」と思った時、それは言語に落とし込めない部分を面白いと感じているということかもしれない、とも思った。
もし無理に言語に落とし込もうとしようとしたなら、
「体の軸と直角にまじわる窓によって中ほどの高さのところを筒切りにされて歩くひとりの男の、ぼんやりとした視覚表現があらわれた*」に匹敵する意味不明さになったことだろう。
書いていてがっかりしたことのひとつだった。

また、文字にする際に、もともと存在していなかった余計なものが現れてくることもわかった。
それは、夢という現実ではない世界での物事を、現実を記述するための言語を使って表現するというズレを埋め合わせようとして生まれてしまったものなのかもしれないと思った。
一般に「脚色」と呼ばれるものが文章の中に湧いていて、これについても自分で書いておきながらがっかりした。


このブログを通して、僕は、自分の感じたことを言語に落とし込み文字に起こすことの難しさをことごとく思い知ってきたのだが、今回もその困難とぶつかった。

結果、上で書いた6つの話は満足に文字にならなかった。
僕としては、いろいろと気づくことが多く、収穫の多い体験だったが、企画倒れだった。

以上が、夢についてブログに書こうと思い立ってからの事の顛末である。



ただ、ただ最終的に
・京都に飛行機が墜落する話
・「c9」という部屋番号についての話
のみをここに近いうちに投稿することにした。
再三夢の話書いてる書いてる言っておいて、書けなかったというのも気が引けたからだ。
特に、2つ目の話は「c9」とかいう文字列を自分がなぜ好んで使っているのか、そのルーツとなる夢の話であり、明らかにしておくもの悪くないかと思った。

飛行機の話を載せることができるのは、比較的単純な話だったからだ。




*「シュルレアリスム宣言 溶ける魚」 アンドレ・ブルトン著 巌谷國士訳 岩波文庫

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