2014年12月31日水曜日

シュルレアリスムのお勉強(1)


前回、シュルレアリスムの本を数冊読んでいると書きました。
そしていずれここでまとめたいみたいなことを書いた気がします。

しかし、まとめられる気がしなくなってきました。

ですから、小出しにしていく作戦に出ようかと思います。
今回はシュルレアリスムに対して前々から抱いている疑問というか、そう書くとたいそれた感じになってしまいますが、漠然と抱く気持ち悪さみたいなのを書いて終わりにしようかと思います。
ここで書く疑問が解決できれば満足と思って、それ以降シュルレアリスムについて深く掘り下げて勉強することはないのではないかと現時点では感じています。
普段は自分の書いた文章を読みかえしながらゆっくり書いているのですが、今回は頭から振り返らずに思うままに書いていこうかと思っています。

シュルレアリスムというものを初めて知ったのは、中学の美術の授業の時でした。
普段の美術の授業では、何かテーマがあって絵を描くことがほとんどでしたが、2年か3年の時に美術史の授業の期間がしばらく続きました。
そのときにフォービスム、キュビスムと並んで紹介されたのがシュルレアリスムでした。
ダリとかマグリットが紹介されたのを覚えています。
(キリコも紹介されていましたが、どういう扱いだったか記憶にありません。ダリだけはそれ以前から知っていて展覧会とかにも行きました。)
まあ、最初に知った時は「意味不明な絵を書くやつ」という印象だったような気がします。
そういうわけで最初は、「シュルレアリスム=絵画の画風のひとつ」という認識でいました。

その後、ブルトンの「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」という本を知ります。
これは、絵ではなく文字です。
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」というのは「シュルレアリスム宣言」というブルトンのシュルレアリスムとはこうだという「宣言」のようなものと、「溶ける魚」というシュルレアリスム文学(?)が合わさった作品です。
シュルレアリスムというのは文学にも存在するのか、と思うとともに、どうも、シュルレアリスムの原点のような扱いのようだということも知り興味が湧いて、読んでみようと思ったわけです。
そこで書店で手にとって、少し読んでみようとしたのですが、不幸にも本後半の「溶ける魚」の方を先に見てしまったのですね。
何が不幸かと言うと、「溶ける魚」というのは自動筆記という手法で書かれた作品で、とてもまともに読める文章ではないのです。
意味不明な文言がただひたすらに並べられており、刺激が強すぎました。
自分にはまだ早すぎた、と思いました。
そこで読むのをやめてしまったのです。

その後も、何度かその本を書店で手に取っては、「自分にはまだ読めない、いつか読めると思う時が来る」と思っては購入することはせず、現在に至ります。

ただ、疑問が残っているんですね。
自動筆記というのをすごく端折って説明すると、(詳細は後で話すかもわかりませんが、)何かを書こうと思って文章をつらつら書いていくのではなく、とにかくペンを持ってがーっと手が動くままにスピーディに言葉を書き続けていく的な行為です。半寝で書くとかいうのもあるようです。
(ちょっと語弊がありますが)そうやって書いた文章をシュルレアリスムだとしている一方で、その対極のように精緻に練り上げられたような謎の絵を描いている絵画の方のシュルレアリスムが、はたして同じ「シュルレアリスム」ノくくりに入っているのか。
個人的な印象としては、謎度合いとしては似ている立場のような気はしますが、同じ主義のもとに行われた芸術活動とは思えませんでした。
当時から現在(お勉強を始める前)の疑問を書くとこんな感じです。


この疑問を解決しようと、シュルレアリスムとは何かをちゃんと勉強してみようという次第であります。

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