2017年8月5日土曜日

弥勒菩薩半跏思惟像


考え事をしていると、弥勒菩薩(みろくぼさつ)っぽい姿勢になってしまうことがある。
どういう姿勢かというと、椅子に座って考え事をしているときに、片足をもう片足の膝に乗せて、さらに乗せた方の膝に同じ側の肘をついて、肘をついた方の指先が頬に触れている姿勢、ということである。こういう姿勢の仏像を何となく知っているのではないだろうか。中には、僕と同じように「今、もしかして弥勒菩薩になってる...?」とハッとした経験がある人もいるかもしれない。

調べてみると、僕の頭に浮かぶ弥勒菩薩の姿は弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかし(ゆ)いぞう)という仏像らしく、京都は太秦の広隆寺という寺にあるという

そもそも弥勒菩薩というのは釈迦の次に仏陀になることが約束された未来仏というポジションなのだそうだ。そして、釈迦の入滅後56億7000万年経って遂に悟りを開き世界を救うらしい。あの姿勢は、どうやって人々を救うかを考えている姿勢なのだ。

にしても、56億7000万年後って流石に長過ぎないか。最早救うべき人々絶滅してるのでは。などと考えているうちに、弥勒菩薩半跏思惟像を見に行く以外にないと思うようになった。


専用駐車場の奥に駐輪場もあるので自転車でも問題ない

広隆寺の門をくぐり石畳の上を進んでいくと、奥に受付の小屋が見える。拝観料700円を払い、さらに奥の霊宝殿という建物へと進む。霊宝殿に入ると、おじさんがぬっと現れてチケットにスタンプを押した。かなり暗い。屋内は最低限の照明のみ。外が明るかっただけに目が慣れず内部の様子がよくわからない。しばらくすると、暗さに目が順応し大きな部屋の中央に座る像が見えてきた。弥勒菩薩像だ。

やや小ぶりの体は茶色を過ぎてやや黒く、冒頭で書いた通りの姿勢で座っている。部屋自体には他にも複数の像が展示されているのだが、弥勒菩薩像の周囲は少し広めに空間が空いていて、目の前に立つと、弥勒菩薩像のみと向き合うような形になる。姿勢と表情、暗く静かな部屋に最低限の装飾と、完全に「考えていますよ」という空気になっている。そもそも仏像なのでじっとしているのは当たり前なのだが、果たして仏像だから動かないのか、考えているから動かないのか、そのくらいのオーラを放っている。最早こちらが「お考えのところ失礼します」というくらいの気分になる。その空間の主導権は、明らかに弥勒菩薩側にあるのだ。

なにせ、完全に仕上がっているのだ。本当に思考していると思わせる整った姿勢と表情。いわゆるアルカイックスマイルというやつだ。そして、京都で長らく人々に守られてきた、かなりの長い時間を感じさせる黒いボディ。暗めの部屋。総合演出がバチバチに決まっている。いよいよ、56億7000万年という時間スケールもおかしくは無いのではないか、と思ってしまう。

宗教的な美術品は、一般的にその宗教の概念を具現化し信仰を深めさせることを機能として持っているんだと思う。これはまさにその能力がある。仏教に特段思い入れがない僕も「あーこれやべー」と思ってしまうのだから間違いない。

美術品に対しては常に素直な心で向き合うのが僕の鑑賞スタイルなので「ありがたさに自然と手を合わせてしまいました☆」みたいなノリではなく、こんな書き方になってしまうのだが、簡単に文字に起こすとこんなところだろう。

かなり楽しめるので、外が明るいときに訪ねて、屋内で目が慣れてきたときに見える弥勒菩薩にビビってほしい。

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