2017年2月7日火曜日

近況22


昨日も今日も、申し訳程度に、街灯に照らされて初めてその存在がわかる程度に、雪が降った。
そこまで気温が低いようには感じなかったが、「上空の湿った寒気」みたいなやつがあるんだろうか。
知らんけど。


論文は、共著者に見て頂いているところ。
主張も曖昧だし、本当に学部生のレポートみたいな文章が出来上がってしまった。
そんなことを認識しているのであれば、改善すればいいのに、と自分でも思いつつ、全てが自明に思えてきて、他の先行研究の自明な延長のように見えてきて、最初はそんなことを思ったりはしなかったのだが、もうなんだか書いているだけで虚無感が湧いて来るような病(やまい)にかかってしまっていた。
こんな「自明病」の末期患者のもとで時間を過ごしているより、共著者の皆さんに叩いてもらうほうがよっぽどこの論文のためになると思い、申し訳ないと思いつつ、今は図を作り直したりしながら共著者の方のコメントを待っている。

そういうわけで、1月は何も進展がないような、思い返しても何も思うことがない。
これはやばい。
ノートを開いてここ1ヶ月を呼び戻そう。

ぺら…。おお。
まず、論文の理論パートについてのミーティングをしたり、FPUA2017に行ったり。
(ノートに「国際会議あるある:スキンヘッドのやつめっちゃ質問する」と書いてある。)
数値計算をしたり、映画を見たり本を読んだりライブに行ったり。
なぜ何も進展が無い、などと思った?
危ない危ない、気が滅入らずに済んだ。

出来事を頭の中だけに留めておくと、その日の気分や体調によって記憶がどんどんゆがんでしまったりして、ともすれば「1月は無だった」という恐ろしい結論に至ってしまう。
だからと言って、日々のあらゆることをネットに放出してしまうというのも、それはそれで「ネットに向けた記憶」になってしまうような気がして、気がすすまない。
(もちろん、このブログもありのままを書いているわけではない。よそ行きの文章だ。)
読者の皆さんがご存知のように、僕はいろいろと考えをこじらせる傾向があるので(この前も「こじらせる」とはどういうことかを考えたりしていた)、誰にも見せないノートにちょろちょろと記憶と感情を委託するくらいがちょうどいいのかもしれない。


2月ということは、僕が25歳になってしまうということだ。
あの素晴らしいアルバム『25』を世に放った花澤香菜さんは、あのとき25歳だった。
なんてこった。
横倒しになったキャスター付きの椅子に遭遇したので、写真を撮った。
キャスター付きの椅子が横倒しになっていることなど、そうそうお目にかかれない。
激レア画像である。


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