2013年7月31日水曜日

TM


「超越瞑想」というのがある。

ふと思い出したので、書いてみよう。

高校のころ、英和辞典のGenius G4をぱらぱらとめくって、面白い単語や例文を見つけて面白がるという、英和辞典を持つようになったすべての人が多かれ少なかれやってしまうであろう、実に高校生の休憩時間らしい遊びを友達としていた。その時に、たまたま、「transcendental meditation:超越瞑想」という単語を見つけた。「超越」などという形容詞がついた「瞑想」。内容はよくわからなかったが、それはもうとにかくすごそうな瞑想に聞こえた。

しばらく日が経って、彼は「超越瞑想」ができるようになったと言い出した。何ができるようになったのか、そもそも「超越瞑想」が何ものなのかよくわからないが、(そういうのだからそうなんだろう)と思った。たぶん他の人が「超越瞑想」ができるようになったと言ったところで、「は?」というだけであろうが、彼はそういうことを言いそうな人だったので、素直に受け止めた。

ひとたび彼が「超越瞑想」を開始すると、何を話しかけても、わらかそうとしても、完全に不動だった。もう、完全に瞑想の世界的な空間の中にいる感じだった。本人いわく、どんどん感覚という感覚を切っていって、内側へ内側へと入っていくのだという。

それを見て、僕は、一種の自己暗示というか、自分の心をこうやってコントロールすることができるのはすごいな、と感心した。体育祭で輝くスポーツ万能の人に対して「すごいな」と思う感じで、「すごいな」と感じた。

もう一人、心を自分なりにコントロールすることができる、という人が友達にいる。彼も、そういうことを言ってもおかしくない感じの人だ。曰く、心を動かすことについて「ここをこうやってこうもっていく」みたいなコツをつかむことができたので、気分が落ち込んだ時もうまく切り替えることができるようになったという。「切り替えていこう!切り替えていこう!」というよく聞くアレが、すんなりできるようになる。「心の動かし方のコツ」を覚えたらしい。

アスリートとかの話にも、自己暗示的な話があったりする。

いいなー、と思う。意識していくと、いずれこういうことができるようになるのだろうか。

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