2022年6月22日水曜日

『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』 ー 日常と異なる「時間」に身を置くこと ー

 京都で開かれている展覧会『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』に行ってきた。

すっかり堪能したので、展示の様子と感想を書きたい。


ブライアン・イーノ(Brian Eno)というのは、音楽を作る人である。

メロディやリズムの明確な骨組みがあるような従来の音楽と異なり、ゆったりとしたBGMのような音楽を作っている。聴いたことがない人のために近い例を挙げるならば、ヒーリングミュージックのようなもの、と言いたくなるが、もっと言葉を尽くすと、ヒーリングミュージックから「ヒーリングさせてやろう」とするいやらしさを除いたもの、と言える。「環境音楽(Ambient music)」と表現される。禅寺に流れる空気を音にしたような、ゆったりと流れる巨大な布のような、そういう音楽だ。


僕は彼の音楽をさほど詳しく知っているわけでもないのだが、有名なアルバム『Ambient 1: Music for Airports』だけは聴く。今回展覧会をすると知り、音楽だけじゃなくてインスタレーションアートもやるんだ!あれ(音楽)が空間になる!と驚いた。環境の音楽を提供するだけでなく、環境そのものを提供するということか、これは味わうべきだ。



会場の入り口で小さなパンフレットを渡され、そのまま最初の展示室へ。

靴を脱ぎ、下駄箱に入れ、カーテンをめくって大部屋に入る。


暗い。

部屋の中には、小さな映画館のように、1方向を向いていくつかソファーが並んでいる。壁には大きな幾何学模様があり、明るく光っている。模様は4回回転対称で、ステンドグラスのようだ。10人ほどの人がソファーに座って、それをただ眺めている。そして、イーノの音楽が鳴り響いている。

おお、やっているな。

これだぞ、こういうことだぞ俺が求めていたのは。と思うと同時に、その信仰宗教のような様子に若干戸惑う。みんな揃ってソファーに座って、壁の幾何学的な模様を見る。こんなことがあるだろうか。

とりあえず空いているソファーに座って、しばらくぼーっと模様を見る。

しばらく見ていると、時間とともに模様の色が変わっていることに気付いた。色だけではない。模様自体も変わっている。どうやらステンドグラスだと思っていたものは、十数枚の様々な大きさのディスプレイの集合体が映している映像らしい。数十秒くらいかけて、ゆっくりと別の模様へと移り変わっている。時間軸に沿ったグラデーションといえばいいだろうか、じわじわと模様が切り替わる。昔流行った「アハ体験」の映像のようだ。

結局15分くらい模様を見た。ただじーっと見て、そしてイーノの音楽を聴いた。模様は、ひと時も止まることなく、常に変化し続けていた。ある模様から別の模様に切り替わるのに数十秒かかるのに、それにも慣れて、次々に変化していく模様の表情を楽しんだ。

興味深いことに、部屋に入った直後は、模様が変化しているということに気付きさえしなかったのだが、15分も経てば、模様のゆっくりとした時間変化をすっかり楽しむことができるようになるのである。「ゆっくり慣れ」したのだ。

僕は最初、たった数秒だけ壁の模様を見て、「ああ、あれはステンドグラスだ(時間変化していない)」と判断した。なぜならば、日常の生活で僕はそんなにもゆっくりと変化するものなど見ていないからである。1秒のスケールで物事を判断する、そういう思考のスピードで生きている。ところが、スマホも見ず、動きもせず、ただただ数十秒かけて時間変化していく模様をひたすら眺めることで、模様が「ひと時も止まることなく次々と変化していく」と感じるまでに、認識が「ゆっくり対応」へと変化したのだ。認識のクロック周波数がHzのオーダーからサブHzのオーダーまで落ちた、と言ってもよい。


作品同様自らも「ゆっくり」になった状態のまま、別の作品がある部屋も順次回った。色が変わったり、音が変わったりするものがほとんどなのだが、すべて最初に観た作品と同様、数十秒の時間スケールで変化する。でも大丈夫。僕もゆっくりになったおかげで、作品の時間スケールに違和感はもう感じないのである。


この、「自分の中の認識の時間スケールを、作品の時間スケールに合わせて遅くさせられてしまった」という体験こそ今回のメインの収穫と言える。

それはもちろん、イーノのゆっくりとした音楽の影響も大きい。視覚と聴覚で徹底的に日常の時間スケールから離れた世界へと連れていかれるのだ。



インスタレーションアートは大好きだ。京都にいたころは何かにつけて美術館に足を運び、インスタレーションアートを楽しんだ。

当時、インスタレーションアートの魅力は、日常と異なる状況に身を置くことで得られる刺激、理解できない状況に置かれた自分の反応を楽しむことにあると考えていた。それは正しい。だが、今回ブライアン・イーノに教わったのは、日常と異なる「時間」に身を置くこともまたインスタレーションアートの作用である、ということだ。これだからインスタレーションアートはたまらない。


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