ここへ来るのはアン・リスレゴー展以来2回目だが、あの時は昼間の明るい時間帯だった。
京都芸術センターは学校を改築した建物で、入口こそガラス張りの自動ドアだが、中に入ると板張りの廊下と独特のにおいのする古びた学校である。
夜の学校の、蛍光灯で無機質に照らされた板張りの廊下を軋ませながら歩くというのは、とても非日常的で、意図したものかそうでないかはさておき、においだとか、音とか、そういったいくつかの要素によって「芸術センター」としての雰囲気を醸し出している。
「電気を切ると何も見えなくなる事」という展覧会が開かれていた。
いくつかの部屋に分かれて展示がある。
最初に入った部屋では、白い壁面4面にプロジェクターで映像が投影されていた。
時計とか、人とか、ほとんど覚えていないが、大量の物が右から左に流れている。
手前の物は大きく、速く流れ、奥の物は小さく、ゆっくり流れている。
というより、いくつかのレイヤーに区切って、物のサイズと流速を変えることで、画面に奥行きが生まれているのだ。
電車とか車とかの車窓から外を眺めた時と同じ。
スタッフの方に話しかけると、
あと15分ほどで電気が切れるから、切れる前に他の部屋も見ておくとよい
と言われた。
次に入った部屋では、いくつかの白い台の上に、3Dプリンターで印刷された小さい容器のようなものが置かれていて、またしても壁面には映像が投影されていた。
びりびりと何かをちぎる音が流れていたので、映像を見ると、びりびりと何かをちぎる映像を逆再生していた。
最後に入った部屋は黒板がそのまま残る教室。
黒いカーテンをめくって中に入ると、ブラウン管のテレビが10台くらい乱雑に置かれていた。
テレビは、台に乗っていたり、床に置かれていたり、方向もばらばらで、写真が折りたたまれていく映像が流れていた。
その他にも、やはり壁面にはプロジェクターで様々な色が投影されており、その色のRGB値が画面の中央に表示されていた。
テレビとプロジェクターと教室の端にあるライト1つ以外に照明が無いので、暗かった。
僕は、最後に入ったこの部屋で椅子に座って、テレビの映像を観ながら電気が切れるのを待った。
5、6人くらいの人がいた。
みんな電気が切れるのを待っていた。
そして、所定の時刻になって、たくさんあったテレビが消え、プロジェクタ-の映像も消えた。
機械の調子で、若干消えるのに手間取ったテレビもあったが、最終的には全て消えた。
真っ暗の部屋だった。
電気を切ると何もみえなくなる、というのは、当たり前だが、正しかった。
僕は例のごとく、作者の意図とか、あまり深いことは考えずに、
またこうして非日常を体感できたことに満足して、帰った。
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追記(2017年5月24日)
展覧会のタイトルは
「電気を切ると何も見えなくなること」
ではなく
「電源を切ると何も見えなくなること」
でした。
お詫び申し上げます。
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